はじめに

2026年3月26日、Espressif が ESP32-S31 を発表しました。320MHz のデュアルコア RISC-V に、Wi-Fi 6・Bluetooth 5.4・IEEE 802.15.4、そして 1000Mbps の Ethernet MAC までを1チップに載せたチップです。

スペック表を眺めていて気になるのは、この数字がどこで体感に変わるのかです。320MHz、Wi-Fi 6、ギガビットEthernet。並べると強力ですが、効く場面と、まったく効かない場面がはっきり分かれます。 当サイトが ESP32-S3 で測ったデータと突き合わせながら、そこを見ていきます。

📌 この記事の3行まとめ
  • ESP32-S31 は 320MHz デュアルコア RISC-V + Wi-Fi 6 + 1000Mbps Ethernet MAC + 802.15.4。ESP32-S3(Xtensa LX7 240MHz・Ethernet なし・802.15.4 なし)とは別物の設計
  • 開発環境は ESP-IDF の master には対応済み、安定版 v6.0.2 のドキュメントには esp32s31 のページが存在しない。公式開発ボードは2種類が公開済み
  • 効きどころは クロックより「1チップに載った有線 / Thread・Zigbee / カメラ・LCD」。当サイトの S3 実測では通信時間の95%以上が TLS ハンドシェイクで、CPU を速くしても縮まない領域がある

1. 🔎 ESP32-S31 とは何か

ESP32-S31 チップの製品イメージ。上面に Espressif のロゴと ESP32-S31 の刻印があり、その背後に内部のダイのイラストが重ねて描かれている

画像: Espressif Systems(出典: ESP32-S31 製品ページ

Espressif が2026年3月26日(中国・上海)に発表したチップです。公式ニュースと公式製品ページに記載されている主な仕様は次のとおりです。

項目 ESP32-S31
CPU 32bit RISC-V デュアルコア/最大 320MHz(MMU 対応)
演算性能 6.86 CoreMark/MHz
SIMD 片方のコアが 128bit 幅のデータパスと SIMD 命令を持つ
SRAM 512KB
外部メモリ 250MHz 8bit DDR PSRAM。フラッシュと PSRAM の同時アクセスに対応
Wi-Fi Wi-Fi 6(802.11ax)/2.4GHz 帯
Bluetooth 5.4(LE + Classic BR/EDR)
その他無線 IEEE 802.15.4(Thread / Zigbee)、Matter は Wi-Fi と Thread の両方で対応
有線 1000Mbps Ethernet MAC
GPIO 60本
映像・表示 DVP カメラ(8〜16bit)、LCD(8〜24bit パラレル)、色空間変換をハードウェアで実行
画像・音声 JPEG コーデック、2D グラフィックアクセラレータ(PPA)、I2S コントローラ2系統
タッチ 静電容量タッチ 最大14チャネル
その他 I/F USB OTG(High-Speed)、TWAI(CAN 2.0)、SDIO、SPI、I2C、UART など
セキュリティ RAM ベースの PUF による鍵管理、セキュアブート、フラッシュ/PSRAM 暗号化、TEE、サイドチャネル攻撃・電源グリッチ攻撃への対策

ソフトウェアは ESP-IDF(および Matter 向けの ESP-Matter、マルチメディア向けの ESP-GMF)でサポートされると公式に明記されています。想定用途として挙げられているのは、スマート家電、スマートスピーカー・音声操作機器、スマートホームハブ、産業オートメーション、マルチメディア IoT です。


2. ⚖️ ESP32-S3 と何が違うのか

両方の公式製品ページに書かれている内容を並べます。

項目 ESP32-S3 ESP32-S31
CPU アーキテクチャ Xtensa LX7 デュアルコア RISC-V デュアルコア
最大クロック 240MHz 320MHz
SRAM 512KB 512KB
Wi-Fi 802.11 b/g/n(2.4GHz・40MHz 帯域) Wi-Fi 6(802.11ax)(2.4GHz)
Bluetooth 5(LE) 5.4(LE + Classic BR/EDR)
IEEE 802.15.4 なし あり(Thread / Zigbee)
Ethernet なし 1000Mbps MAC
GPIO 45本 60本
JPEG コーデック/2D アクセラレータ 記載なし あり

ここで押さえておきたいのは、ESP32-S31 は「ESP32-S3 のクロックアップ版」ではないという点です。命令セットが Xtensa から RISC-V に変わり、無線も有線もマルチメディアも別物になっています。

💡 Ethernet「MAC」という表記について

公式の表記は一貫して「1000Mbps Ethernet MAC」です。

MAC とだけ書かれている以上、実際に LAN ケーブルを挿すには外付けの PHY が必要になるはずです。ただし公式が推奨 PHY や結線条件をどう指定しているかは、執筆時点では確認できていません。基板を起こす前に必ず公式のハードウェア設計ガイドラインを確認してください。

⚠️ 公式で確認できなかったこと

次の項目は Espressif の公式情報では確認できませんでした。

  • 一般販売の時期・価格。 公式発表にあるのは「サンプル希望や問い合わせはカスタマーサポートへ」という案内のみ
  • 量産(マスプロダクション)の開始時期
  • 消費電力の実数値(Wi-Fi 6 について公式が述べているのは「伝送効率の向上と消費電力の低減」という定性的な表現まで)
  • Wi-Fi 6 の具体的なスループット値、および OFDMA / TWT 対応の明記
  • Arduino core(Arduino-ESP32)の対応状況

3. 🛠️ 開発環境と入手性の現在地

実際に触るには、まず「今日どこまでできるのか」を押さえておく必要があります。

ESP-IDF の対応状況

ESP-IDF の公式ドキュメントには esp32s31 ターゲットのページが存在します。ただし、それは master(latest) のドキュメントです。

執筆時点で ESP-IDF の安定版は v6.0.2 ですが、安定版ドキュメントの esp32s31 パスは HTTP 404 を返します。比較のため同じ URL 構造で esp32p4 を確認したところ、こちらは安定版 v6.0.2 のページが正常に存在しました。つまり URL の付け方の問題ではなく、安定版に esp32s31 のドキュメントがまだ無いということです。

安定版に無い以上、いま ESP32-S31 を触るなら master ブランチの ESP-IDF を使うことになるはずです。これは評価・試作では問題になりませんが、量産ファームウェアのベースラインとしては扱いが難しい状態です。

開発ボードは公開済み

公式の esp-dev-kits ドキュメントに、ESP32-S31 向けのボードが2種類掲載されています。どちらも ESP32-S31-WROOM-3 モジュールベースです。

ボード 内容
ESP32-S31-Function-CoreBoard-1 AIoT 試作向けの基本ボード。16MB フラッシュ/16MB PSRAM、マイクとスピーカー出力、USB、Ethernet を搭載し、主要 GPIO を引き出している
ESP32-S31-Korvo-1 マルチメディア向け。デュアルマイクアレイ、スピーカー出力、microSD スロットを持ち、4.3インチ LCD サブボードと DVP カメラを接続できる。音声認識・ボイスウェイクアップ対応

あわせて ESP32-S31 専用の開発者向けポータルesp32-s31.espressif.com)も公開されており、オンラインの書き込みツール、ピン配置リファレンス、コンポーネントマネージャ、用途別のアプリケーションガイドがまとまっています。

ドキュメントとボードとポータルがここまで揃っているので、「発表だけして実体がない」段階はすでに過ぎていると見てよさそうです。一方で、購入手段が公式に案内されていないことも事実なので、個人が今日入手できるかは別問題です。


4. 🧭 320MHz と Wi-Fi 6 は、どこで効いてどこで効かないか

まず、当サイトが持っている ESP32-S3 の実測データ

当サイトでは ESP32-S3 と Azure Functions の間で、JSON と gRPC(Nanopb)の通信を実測比較しています。結果はこうでした。

項目 JSON gRPC
シリアライズ時間 約424μs 約157μs 約2.7倍高速
データサイズ 62 bytes 21 bytes 約1/3
1回の送信にかかる通信時間 - - ほぼ変わらず

理由は、通信時間の内訳にありました。

内訳 時間
TLS ハンドシェイク 約1,200〜1,300ms
データ送信 30〜50ms
レスポンス受信 20〜40ms

TLS ハンドシェイクが全体の95%以上を占めており、CPU 側の処理を2.7倍速くしても、データを1/3にしても、体感には出なかったということです。詳細は ESP32でgRPC vs JSON 実測比較|シリアライズ2.7倍速・データ量1/3 にまとめてあります。

この実測から言えること

クロックが 240MHz から 320MHz になっても(約1.33倍)、上のような「たまにクラウドへ送るだけ」のノードでは、体感はほとんど変わらないはずです。 ボトルネックが CPU ではないからです。

言い換えると、クロックを上げて効くのは「CPU が詰まっている処理」だけです。通信の待ち時間は、コアをいくら速くしても縮みません。この見分けがつかないと、せっかくの 320MHz が数字だけで終わります。

⚠️ ここから先は予測です。S31 で測った値ではありません

上記はあくまで ESP32-S3 の実測値からの推論であり、ESP32-S31 で測ったものではありません。 ESP32-S31 は RISC-V であり暗号アクセラレータの構成も同一とは限らないため、TLS ハンドシェイクの所要時間が S3 と同じになる保証はありません。実機が手に入ったら測り直して追記します。

320MHz と新しい周辺回路が効く場面

以下は公式スペックから筆者が判断したものです。

  1. 有線 LAN をつなぐ。 ESP32-S3 に Ethernet MAC はありません。Wi-Fi の再接続待ち・DHCP・電波環境という不確定要素が丸ごと消えるので、置きっぱなしで動かす工作では効きます
  2. Thread / Zigbee / Matter を使う。 ESP32-S3 は IEEE 802.15.4 を持たないため、S3 + 802.15.4 チップの2個構成になります。1チップで済むぶん基板が小さくなり、配線も減ります
  3. カメラや LCD を扱う。 JPEG コーデックと 2D アクセラレータ(PPA)が専用ハードで載っています。S3 でソフトウェア処理していた部分がハードに落ちるので、ここはクロック向上より大きく効きます
  4. まとまったデータを一気に処理する。 片コアの 128bit SIMD が効く処理なら、クロック比の1.33倍より大きく変わる可能性があります

クロックが効かない場面・つまずきやすいところ

  1. たまにクラウドへ送るだけのノード。 上の実測のとおり、時間の大半は TLS ハンドシェイクです。ここはクロックでは縮みません
  2. S3 のコードをそのまま持っていく。 アーキテクチャが Xtensa から RISC-V に変わるため、ツールチェーンとターゲット設定は確実に変わります。ESP-IDF の API レベルでは共通部分が多いはずですが、アセンブリや一部の最適化ライブラリを使っていればそのままとはいきません
  3. 安定版の ESP-IDF で開発したい。 §3 のとおり、安定版 v6.0.2 のドキュメントに esp32s31 はまだありません
  4. すぐ手に入れたい。 一般販売時期も価格も公式には出ていません

整理すると、このチップの面白さはクロックそのものより、1チップに詰め込まれた周辺回路のほうにあります。 有線・802.15.4・カメラ・LCD のどれかを触りたいなら、S3 では2個必要だった構成が1個で組めます。逆に、Wi-Fi でときどきデータを投げるだけの工作なら、スペック表の数字ほどの差は出ません。

なお、ESP32-S3 側の開発環境そのものを整えたい方は VS Codeで始めるESP-IDF環境構築ガイド|最小構成でHello Worldまで が最短です。ESP-IDF でのクラウド送信の実装は ESP32-S3 × ESP-IDF|cJSONとHTTP ClientでJSONをPOST送信 にまとめています。


5. 📡 Espressif の RISC-V シフトという文脈

ESP32-S31 は単発の新製品ではなく、2026年に入ってから続いている流れの一部です。公式発表の日付順に並べると、それがはっきりします。

発表日 製品 内容(すべて公式発表より)
2026年1月19日 ESP32-E22 同社初の Wi-Fi 6E 対応。デュアルコア 500MHz RISC-V を積んだ無線コプロセッサ(RCP)で、2.4/5/6GHz のトライバンド、160MHz 幅、2×2 MU-MIMO、ビームフォーミング、1024-QAM で最大 2.4Gbps。ホストとは PCIe 2.1/SDIO 3.0 で接続する。エンジニアリングサンプル提供中
2026年3月3日 ESP32-H21 最大 96MHz の RISC-V。Thread / Zigbee / BLE / Matter 向けの低消費電力チップで、オンチップ DC-DC を統合。RX 動作電流 約8.2mA、ライトスリープ 9μA、ディープスリープ 5μA。ESP32-H2 の改良版という位置づけ
2026年3月26日 ESP32-S31 本記事の主役
2026年6月12日 ESP32-E22(続報) Wi-Fi Alliance の Wi-Fi CERTIFIED 6E を取得。あわせて Linux ドライバ(カーネル 5.4 以降対応)を GitHub でオープンソース公開

公式製品ページで見ると、ESP32-S3 は Xtensa LX7、ESP32-S31 は RISC-V、ESP32-P4 も RISC-V(HP コア 400MHz ×2 + LP コア 40MHz)です。

つまり Espressif の新規設計は RISC-V に寄っている、と読むのが素直です。ただし公式に「Xtensa をやめる」という宣言が出ているわけではないので、そこは断定しません。

ESP32-S31 が既存のラインナップのどこに来るのかを見たい場合は、ESP32 シリーズの選び方|S3・C3・C6・H2・P4 の違いと使い分け に系統ごとの性格と公式スペックの比較表をまとめてあります。いま買えるモデルの中から選び直したいときも、そちらのほうが見通せます。

💡 ESP32-P4 と ESP32-S31 の使い分け

ESP32-P4 には Wi-Fi が内蔵されていません。公式ページには「無線が必要なら ESP32-C/S シリーズを SPI/SDIO/UART 経由でコンパニオンチップとして使う」と書かれています。

したがって、無線込みで1チップにまとめたいなら ESP32-S31、CPU 性能を最優先して無線は別チップで足すなら ESP32-P4、という切り分けになりそうです。


まとめ

公式情報で確認できたこと

  • ESP32-S31 は2026年3月26日発表。320MHz デュアルコア RISC-V(6.86 CoreMark/MHz)、Wi-Fi 6、Bluetooth 5.4、IEEE 802.15.4、1000Mbps Ethernet MAC、JPEG コーデック、TEE と PUF を1チップに統合
  • ESP32-S3(Xtensa LX7 240MHz)とは、命令セット・無線・有線・マルチメディアのすべてが異なる。上位互換ではない
  • ESP-IDF は master に対応済み、安定版 v6.0.2 のドキュメントには未掲載。開発ボード2種と専用の開発者ポータルは公開済み

公式では確認できなかったこと

  • 一般販売時期・価格・量産時期・消費電力の実数値・Arduino 対応。いずれも公表されていない

ここから先は筆者の判断

  • 効きどころはクロックより周辺回路。 有線・802.15.4・カメラ・LCD は、S3 では2個必要だった構成が1チップで組める
  • クロックが効かない領域もはっきりしている。 当サイトの S3 実測では通信時間の95%以上が TLS ハンドシェイクで、CPU を速くしても縮まない

実機を入手して測れたら、この記事に実測値を追記します。


よくある質問(FAQ)

Q1. ESP32-S31 はいま買えますか?

公式発表に書かれているのは「サンプルの希望や問い合わせは Espressif のカスタマーサポートへ」という案内までで、一般販売の時期も価格も公表されていません。 開発ボード(ESP32-S31-Function-CoreBoard-1 / ESP32-S31-Korvo-1)のドキュメントは公開済みですが、購入方法は公式ドキュメント上では案内されていませんでした。

Q2. ESP32-S3 の後継チップという理解でいいですか?

Espressif は公式に「ESP32-S3 の後継」とは表現していません。型番が近いので後継に見えますが、§2 のとおりアーキテクチャから別物です。「S3 の置き換え」ではなく「新しい選択肢が増えた」と捉えるほうが実態に近いと考えます。

Q3. ESP32-S3 のコードはそのまま動きますか?

ESP-IDF の API レベルで書かれている部分は共通性が高いはずですが、Xtensa から RISC-V へ命令セットが変わるため、ツールチェーンとターゲット設定は必ず変わります。 アセンブリや特定アーキテクチャ向けの最適化ライブラリを使っていれば移植作業が必要です。ただし実機での検証はしていません。

Q4. Arduino IDE で使えますか?

公式発表がソフトウェアサポートとして挙げているのは ESP-IDF・ESP-Matter・ESP-GMF で、Arduino core への対応は公式情報からは確認できませんでした。ESP32 系の Arduino 環境については ESP32 Arduino IDE セットアップ手順【2026年版】|インストールからLチカまで を参照してください(ESP32-S31 の対応状況は含みません)。

Q5. Wi-Fi 6 になると通信は速くなりますか?

公式が述べているのは 2.4GHz 帯の Wi-Fi 6(802.11ax)による「伝送効率の向上と消費電力の低減」までで、具体的なスループット値は公表されていません。 また 2.4GHz のみなので、5GHz/6GHz による帯域増加の恩恵はありません。単体のスループットより、多数のデバイスが密集した環境での効率に効くタイプの改善だと考えられます。

Q6. ギガビットEthernet はケーブルを挿すだけで使えますか?

公式表記は「Ethernet MAC」です。一般に MAC のみの場合は外付け PHY が必要になるため、基板設計が前提になるはずですが、公式が推奨 PHY や結線条件をどう指定しているかは確認できていません。実装前に必ず公式のハードウェア設計ガイドラインを確認してください。

Q7. ESP32-P4 とどちらを選ぶべきですか?

ESP32-P4 には Wi-Fi が内蔵されておらず、公式ページは無線が必要な場合に ESP32-C/S シリーズをコンパニオンチップとして使う構成を案内しています。無線込みで1チップにまとめたいなら ESP32-S31、CPU 性能優先で無線を別に足せるなら ESP32-P4 という切り分けになりそうです。


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参考